今日は、長崎に原爆が投下された日で、今年は投下から78年になります。
昭和20年8月6日には広島に、9日には長崎に原子爆弾が投下されました。
私は高度経済成長期に北九州市八幡近郊で生まれ育ったので、当時の事は過去の事として見聞きするのみなのですが、中学の3年間を父の転勤で長崎県内に住んでいたて、8月9日は夏休みの登校日でした。
ご存じの方も多いと思うのですが、米軍は2発目の原子爆弾を、計画では八幡に投下する予定でした。しかし、8月9日午前の八幡の天気は曇りで上空には分厚い雲がかかっていて、機の安全高度からは街を見通せない天候だったため、原爆(ファットマン)を積んだB29は第二目標に向かい、好天だった長崎に11時02分、ファットマンを投下しました。八幡には製鉄所が、長崎には造船所があったので、投下目標となったということです。もし八幡の空が晴れていたら、私はいなかったかもしれないです。
今年初めに家族と広島に旅行に行きました。その時はG7準備の最中でしたが、G7で世界のリーダが訪れた原爆資料館にも見学に行きました。子供の頃にも訪ねたことがあり、結構ショックだったのですが、初老の域になってもやっぱりショックは大きいものがあります。でも日本人であれば、広島か長崎の資料館には一度は訪ねて欲しいかなぁと思います。
資料館には、多くの外国の方々も見学をしており、色んな表情で資料をご覧になっていたのは非常に興味深いものがありました。こんな事があったということを知って頂く事は、とても重要だと思います。
日本は戦争で原爆を使われた世界最初の国です。でも、当時日本も原爆を開発しており、歴史にIFはありませんが、もし日本が開発に成功していたら、一発逆転を狙って使用していないとも言えないでしょう。そうなれば、日本は世界で最初の加害者になってしまう可能性もあったのです。
原爆の使用に関しても、戦争終結を早めるのに必要だったという意見がありますが、戦意喪失ということを考えると、全面否定するだけではいけないように感じます。
広島も長崎も平和祈念式典のTV中継の際、蝉がうるさく鳴いているのが印象的です。そして今日も、私の家の周辺では、晴れ間には蝉が鳴いています。78年前も夏の暑い日々だったのでしょう。広島も長崎も世界からの観光客を受け入れることができる都市に復興し、蝉もあの時と同じように鳴いています。
でも、ここ数年の暑さや雨の降り方は、78年前とは絶対に違っていると思います。世の中を破壊する兵器は使わないという選択肢がありますが、気候変動いや地球の沸騰は、止めようがありません。
とりあえずは、熱中症にならないようにエアコンを適切に使用して、水分を十分に摂る事に心がけるしかないのでしょうか。