近年、喪中はがきが多くなってきていた。辛い訃報が続いていた。昨年旅立たれた三浦徳子さんには、可愛がって頂いた。「お嫁サンバ」「風は秋色」「チェリーブラッサム」「夏の扉」「みずいろの雨」「真夜中のドア~Stay With Me」「嵐の素顔」「モニカ」「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」「CAT’s EYE」「夏色のナンシー」、書ききれないヒット作の数々。オリコンでは、80年代に最も売れた作詞家と称賛されていた。メディアに露出しない。青森出身の三浦さんからは、ときおり青森りんごを頂戴した。グランドハイアットのフィオレンティーナにて、政治から音楽、小職の仕事について、お話を頂くのだ。「これからも真面目に仕事しなさい」何度も金言をくださった。松田聖子、八神純子、松原みき、多くの歌手の才能について、直接聞くことができ、運だけでヒットは生まれないことも教わった。でも作詞家としてクリエイターとして裏方に徹していた。我が亡き父も青森出身だったことを伝えると、ご自身の幼少期のことも語ってもくださった。自分は音楽にも芸能にも関係ないのだが、20年近くお付き合い頂いたことは、宝物なのだ。コロナもあり、2年近く連絡を取っていなかった。昨年、久しぶりにメールしてみた。返信がなく、無礼者とご立腹ではと、ショートメッセージを送った。その1ヶ月に訃報が届いた。悔やんでも悔やみきれない、いつも市民目線だったレジェンドにもういちど高価なカフェオレを飲みながら、会話したかった。「申し訳ございません」常に祈っている。作詞のことはなかなかご教示頂けなかったが、一度だけ「降りてくるのよ」と語っていた。天から降りてきた言霊も綴っていらっしゃったのだろうか?大物作詞家のダメ出しと修正する者はいないらしいが、ジャニー喜多川さんだけは、必ず要請してきたという。

民草への温かい言葉に感謝しつつ、御冥福をお祈り申し上げる。今日も自分だけの三浦徳子プレイリストを聞いて、奮い立たせるのだ。さよなら、三浦先生!!